2010年11月08日
金刃憲人
金刃 憲人(かねと のりひと、1984年4月10日 - )は、読売ジャイアンツ所属のプロ野球選手(投手)。背番号は28。
目次 [非表示]
1 来歴
1.1 プロ入り前
1.2 プロ入り後
2 プレースタイル
3 人物
4 詳細情報
4.1 年度別投手成績
4.2 背番号
4.3 個人記録
5 脚注
6 関連項目
来歴 [編集]
プロ入り前 [編集]
兵庫県尼崎市出身。尼崎市立園和北小学校1年時に軟式野球の「園和北フレンズ」に入団し、6年時に全国優勝。尼崎市立園田中学校時代はボーイズリーグ「兵庫尼崎」に在籍。中学の1年先輩には後にプロでチームメイトとなる野間口貴彦がいた。
市立尼崎高校進学後は2年冬に甲子園未出場ながら高校全日本台湾遠征メンバーに選出され、MVPを受賞。3年夏の兵庫大会では準々決勝でグエン・トラン・フォク・アンを擁する東洋大姫路高校を完封するまで全て2失点以内に抑えたが、準決勝で坂口智隆を擁する神戸国際大附高校に9回裏2死から5点差を逆転されてのサヨナラ負けを喫してベスト4。
高校卒業後は関西学生野球連盟所属の立命館大学へ進学し、1年秋の京都大学戦でリリーフとして1996年秋の田中総司以来となる1年生でのリーグ戦初登板。その後、関西大学戦で初先発し、最終節の同志社大学戦で1失点完投勝利を挙げた。2年時には春季リーグ戦で優勝して第53回全日本大学野球選手権大会に出場し、初戦で徳山大学に敗れたものの最速144km/hを記録。3年秋には京大戦でノーヒットノーランを達成した。4年時には春秋連続でリーグ最多奪三振を記録し、秋は最優秀投手とベストナインにも選ばれた。2006年の大学・社会人ドラフトにおいて希望入団枠で読売ジャイアンツに入団。
プロ入り後 [編集]
2007年は紅白戦、オープン戦と結果を残し、上原浩治、ジェレミー・パウエルらが開幕に間に合わないこともあり開幕から先発ローテーションに入った。前半戦は落ちついた投球で7勝を挙げる活躍を見せ、高橋尚成・内海哲也らと共に左三本柱と呼ばれるなど新人王の有力候補と言われたが、7月中旬以降は疲労による故障も重なって未勝利に終わり、リーグ4位の20被本塁打、同8位の6暴投を記録するなど新人王獲得はならなかった。
2008年は8試合に登板したが、8点近い防御率で投球回数の半分以上の四球を与えるなど精彩を欠いた。2軍のイースタン・リーグでは13試合に登板し、76回を投げて同10位の61奪三振、8勝2敗、防御率1.66、勝率.800と最多勝(木谷寿巳、由規と同数)、最優秀防御率、勝率の3冠など好成績を残した[1]。
2009年は2軍のイースタン・リーグでは19試合に登板。30回を投げ22奪三振、5勝4敗で防御率は1.80だった[2]。シーズン終盤に一軍へ昇格すると中継ぎで5試合を無失点と結果を出し、クライマックスシリーズや日本シリーズでもリリーフ登板した。
プレースタイル [編集]
主に先発投手を務めていた大学時代からプロ入り当初は、最速151km/hの速球、縦横2種類のスライダー、緩急をつけるためのパームボールを軸に、小さく落ちるフォークボール、シュートを投げていた。
リリーフでの起用が中心になってからはトルネード投法気味にフォームを改造し、スライダーの変化量と切れが向上した。
広島東洋カープ戦に強く、2007年はプロ初勝利を含む4勝0敗を記録するなど、2009年シーズン終了時点で広島に対して敗戦投手になっていない。
人物 [編集]
両親は鳥取県出身。在日韓国人3世だったが大学3年時に日本に帰化した[3]。
目次 [非表示]
1 来歴
1.1 プロ入り前
1.2 プロ入り後
2 プレースタイル
3 人物
4 詳細情報
4.1 年度別投手成績
4.2 背番号
4.3 個人記録
5 脚注
6 関連項目
来歴 [編集]
プロ入り前 [編集]
兵庫県尼崎市出身。尼崎市立園和北小学校1年時に軟式野球の「園和北フレンズ」に入団し、6年時に全国優勝。尼崎市立園田中学校時代はボーイズリーグ「兵庫尼崎」に在籍。中学の1年先輩には後にプロでチームメイトとなる野間口貴彦がいた。
市立尼崎高校進学後は2年冬に甲子園未出場ながら高校全日本台湾遠征メンバーに選出され、MVPを受賞。3年夏の兵庫大会では準々決勝でグエン・トラン・フォク・アンを擁する東洋大姫路高校を完封するまで全て2失点以内に抑えたが、準決勝で坂口智隆を擁する神戸国際大附高校に9回裏2死から5点差を逆転されてのサヨナラ負けを喫してベスト4。
高校卒業後は関西学生野球連盟所属の立命館大学へ進学し、1年秋の京都大学戦でリリーフとして1996年秋の田中総司以来となる1年生でのリーグ戦初登板。その後、関西大学戦で初先発し、最終節の同志社大学戦で1失点完投勝利を挙げた。2年時には春季リーグ戦で優勝して第53回全日本大学野球選手権大会に出場し、初戦で徳山大学に敗れたものの最速144km/hを記録。3年秋には京大戦でノーヒットノーランを達成した。4年時には春秋連続でリーグ最多奪三振を記録し、秋は最優秀投手とベストナインにも選ばれた。2006年の大学・社会人ドラフトにおいて希望入団枠で読売ジャイアンツに入団。
プロ入り後 [編集]
2007年は紅白戦、オープン戦と結果を残し、上原浩治、ジェレミー・パウエルらが開幕に間に合わないこともあり開幕から先発ローテーションに入った。前半戦は落ちついた投球で7勝を挙げる活躍を見せ、高橋尚成・内海哲也らと共に左三本柱と呼ばれるなど新人王の有力候補と言われたが、7月中旬以降は疲労による故障も重なって未勝利に終わり、リーグ4位の20被本塁打、同8位の6暴投を記録するなど新人王獲得はならなかった。
2008年は8試合に登板したが、8点近い防御率で投球回数の半分以上の四球を与えるなど精彩を欠いた。2軍のイースタン・リーグでは13試合に登板し、76回を投げて同10位の61奪三振、8勝2敗、防御率1.66、勝率.800と最多勝(木谷寿巳、由規と同数)、最優秀防御率、勝率の3冠など好成績を残した[1]。
2009年は2軍のイースタン・リーグでは19試合に登板。30回を投げ22奪三振、5勝4敗で防御率は1.80だった[2]。シーズン終盤に一軍へ昇格すると中継ぎで5試合を無失点と結果を出し、クライマックスシリーズや日本シリーズでもリリーフ登板した。
プレースタイル [編集]
主に先発投手を務めていた大学時代からプロ入り当初は、最速151km/hの速球、縦横2種類のスライダー、緩急をつけるためのパームボールを軸に、小さく落ちるフォークボール、シュートを投げていた。
リリーフでの起用が中心になってからはトルネード投法気味にフォームを改造し、スライダーの変化量と切れが向上した。
広島東洋カープ戦に強く、2007年はプロ初勝利を含む4勝0敗を記録するなど、2009年シーズン終了時点で広島に対して敗戦投手になっていない。
人物 [編集]
両親は鳥取県出身。在日韓国人3世だったが大学3年時に日本に帰化した[3]。
Posted by minokei1 at 19:35│Comments(0)
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